募金日記

自分のできる範囲で動物達の力になれることがあればやっていきたいです。

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ベジタリアンになってから、数ヶ月。
ごく親しい友人のみにしか打ち明けてないのですが(一緒に食事をする機会がある以上、打ち明けざるを得ない)、やはり理解を示してくれる人はなかなかいないようです。

私:「肉を食べるのやめたんだ」
友人:「何がきっかけで、また?」
私:「インターネットで動物がどのように屠殺されているか知ってしまったから。自分ちの猫と同じ動物は食べられない」
友人:「そんな余計な情報、見なきゃ良かったのに」

「見なきゃいい」・・・・・・・
多分、多くの人はそう考えてるはずです。
しかし私は「知らないで食べ続ける方が嫌」ですし、知って良かったと思います。
友人も例に漏れず、口々に「肉は我々が生きるために必要だから仕方ない」「肉はやめられない」と言います。
そこで議論しても仕方ないと思い、それ以上の突っ込みはしませんでしたが、明日食べる物にも困らない現代人が「生きるために肉を食べるのは仕方ない」と言うのはよくあること。
じゃあ、自分の手で動物殺せる?と聞いたら、やはり「殺せない」と言われました。

狩猟もせずに、科学文明に満たされた室内で、数々の電子器具に囲まれながら「生きる為に必要だ、でも自分では殺せないし、殺される場面も見たくない」。
これが多くの人々の考えです。
ベジタリアンになったと言ったら、「じゃあ毎日、何食べてるの?」なんて聞かれましたし。
肉以外の食べ物がこの世にないとでも思ってるのかあ?(^^;)

肉を食べないと体力でないとか、栄養が補えないと考えてるのもまた、多くの人々の考えです。
実際は、発ガン性物質満載の毒素であり、酸化老化を引き起こすものだということも知りません。
気づき始めた人は、健康面からもすでに肉食を放棄しています。

本来、人間の消化器官は肉食に適していないために、未消化で残存した肉が腸の中で腐敗するんだということや、畜産動物を作り出す為に多量の穀物が使われ、その半面で飢餓難民がさらに飢えている現状などを話したら、さすがに友人も少しオロオロしていましたが。

「生きてる内だけでも、好きな物を食べて幸せに過ごしたい」
まあ行き着く所はそこなんでしょうな。

私は今、幸いにも家業に従事しているので、職場の飲み会などに付き合う必要もないのですが、これが一般の会社勤めの方なら、ベジ生活はかなり厳しいものなのでは、と思われます。
ベジタリアンのブログを拝見していると、大抵「肉アレルギー」だということにしているらしいです。
まあ、同僚や上司に変人扱いされて面倒臭い議論に発展するより賢明でしょう。

実際に私は魚介類アレルギーがあり、OL時代は周囲の人に色々気を使わせてしまう機会が多かったのですが、半面では「本当にいい魚を食ってないから、そう思い込んでるだけじゃないのか?」とか「アレルギーなんて、デリケートなのね~」とイヤミ言われることもありました。
本当のアレルギーの辛さを知らないからそんな他人事みたいなことが言えるんでしょう。
給食で食べたイカフライや海老フライで、午後の授業は全身に現れた蕁麻疹と格闘し、食道や胃に手を突っ込んで掻きむしりたいほどの苦しみを味わった者の気持ちになってみやがれってんでい( ̄ヘ ̄)=З
同じ物を食べた他のみんなは何ともなかったのにね。

そんな経緯もあるので、なおさら「肉も食べない」となると、どんな攻撃を食らうことか(笑)
でも、特に親しくない人々の前では無難に「アレルギー」だって言うしかないんですよね。わかってくれるはずなんてありませんし。
ちなみに、アレルギーの怖さはこちらの記事を
ピーナッツ・アレルギーの少女が彼氏とキスして死亡

「見なきゃいい」の裏で行われていること。
屠畜の現場レポートをどうぞ。これが食肉の作られる舞台裏です(文章のみ、残酷な写真はなし)。
映像がとらえた屠殺のシーン(ビデオです)。
菜食のススメ様より、ベジタリアンについての質問回答集
健康面からの菜食のススメ

そしてエッセイ↓("声なき動物たち"様より引用)

すべての人たちに想像してみてもらいたい。
同じ姿勢で24時間過ごさなければいけない自分を。
そしてそんな毎日が来る日も来る日も続くことを。殺されるその日まで。

これは虐待以外のなにものでもない。
屠殺されるその日、電気棒で追い立てられながら、虐待の末に弱り果てたからだを、びっこを引きながら、もだえながら、必死で走っていく。屠殺場に向かって。殺されるために。
屠殺場につき、意識がまだ残る中、喉を大きなナイフで掻き切られる。
血が地面いっぱいに流れ落ちてゆく。苦痛で狂うように体を動かす豚たち。
狭い檻の中で、首を鎖でつながれて、その鎖を何とか外そうと必死で暴れる子牛。決して外れることのない鎖を。

彼らの飲むはずの母親のミルクは、決して彼らには与えられず、私たち人間に取られてしまう。
機械によって絶えず搾り取られていく雌牛たちの乳。

私には、どうしても理解することができない。
私たち人間はこうまでして動物たちを食べなければいけないのだろうか。
美味しいからという理由だけで、彼らは苦痛と屈辱に満ちた一生を送らなければならないのだろうか。
私たち人間のために。もしそうだとしたら、私は断固として訴える。

動物を食するすべての人々は、一度どのようにして肉が作られるかを見るべきだと。
どのようにして育てられるのか、どのようにして殺されるのか、その時の彼らの表情、目、叫び、すべてを見て聞くべきだ。
よく人は、感謝の気持ちをもって動物を食べましょう、などと言うけれど、実際、食用動物たちの実態を見たらどう思うだろう。

動物たちが、“人間に感謝されるためなら、虐待されても苦痛に満ちた死を迎えても仕方がない”、などど思っているなんて私には到底考えられない。
感謝の気持ちなんて嘘だと私は思う。
ただ単に肉を食べるときの口実にすぎないのではないかと思う。

残酷な事実は見ないようにして、考えないようにして、肉を美味しいと食べ続けることはとても罪なことだと思う。
大量生産といえども、その動物たちそれぞれが私たちと同じように個性を持ち、感情を持っている。

みんなが好んで一緒に暮らしている犬や猫。
でも、食用とされている牛や豚や鶏たちだって、犬や猫と何ら変わらない、みんなきれいな目を持ち、尊い命を持っているのだ。

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お久しぶりです。
コメントはしませんでしたが、拝見しておりました。
私もお肉を食べなくなってから、周囲に言っていましたが、理解してくれる人はほとんどいませんでした。

一番傷ついたのが、併せて毛皮の話をしたときに、
「別に俺が買わなくても誰かが買うんだから、くだらないことで我慢したくないんだよね」
と言われたことです。
さすがにこれにはブチ切れたんですが。。。

せめて毎日食べてるお肉の量を減らすとか、毛皮製品も使い捨てにしないで今持ってるものを一生着るつもりで大事にするとか、きっぱり不買にならなくとも、欲を抑えて欲しいです。

ももふくろうさんのご友人を愚弄するつもりじゃありませんが、「余計な知識」だと言う人は、物事を上辺だけでしか判断できない浅い人間なのではないかと感じてしまいました・・・。
私の知人にも似た考えの人がいるので、その人に向けて言いたい言葉ですけれど^^;
2005/12/12(月) 18:02:48 | |珀 #[ 編集]

珀さん、お久しぶりです!(^^)
肉食ボイコット、理解してくれる人はなかなか身近にいないですよね。
「変人」だの「動物愛護キチガイ」だの思われるのがオチです。

>「別に俺が買わなくても誰かが買うんだから、くだらないことで我慢したくないんだよね」

「くだらないこと」ですか・・・。珀さんがカッとなるお気持ち、わかりますヨ。
その「くだらないこと」で、何匹の動物が犠牲になっているか。
「自分一人がやめたってどうしようもない」ではなく、一本の弓でも三本束ねれば強固になるという思いで私は実践しますし、間接的な殺戮に参加したくない。
「我慢したくない」って言う人は、やはり根本に動物に対する愛情や興味がないからなんでしょうね。

珀さんのおっしゃる通り、完全撤廃が難しいならせめて消費を減らして欲しいです。
一人が止めることで、何匹の動物の犠牲が減らせるか。
「余計な知識」と言ってしまう人は、物事の美味しい部分だけを享受できれば
いいと考える人なのでしょう。
残念ながらこういう人は少なくないようですね・・・
「知らぬが仏」「見なけりゃいい」なんて卑怯なことはできません( ̄~ ̄)
2005/12/13(火) 01:40:27 | |momofukurou #[ 編集]

元ゆうこりんです。
私も、実は、妹(かなりの動物好き)と母に同じように「見なきゃいいじゃん」といわれ、すごくショックを受けました・・・。母は動物が好きな方ではないし、ある意味理解はできるんですが、まさか、動物好きな妹にまで、こんなことをいわれるなんて・・・といった感じです。

そうやって人間が、「見なきゃいいじゃん」の部分を本当に「見ないふり」をしてきたからこそ、こんな問題が山積みになっているのを、いつか分かってほしいのに・・・
2005/12/14(水) 11:53:49 | |御文 #[ 編集]

御文さん
妹さん、動物がお好きなのに「見なきゃいいじゃん」っておっしゃったのですか・・・
動物に興味のない人ならともかく、動物好きな人にまでそのようなことを、あっさり言われてしまうとショックですよね。
ただ可愛がるだけではなくて、どんな扱いを受けているのかということまで知って欲しいです。
私たちにとってはスーパーに山積みされたパック入りの肉、ハンガーにかけられた毛皮商品の数々に過ぎなくても、その原料となった動物達にとってはたった一つの命。
我々と同じように痛み、恐怖します。

実は今日この記事を読んだ方からメールをいただいて、「生きるための肉は確かに仕方ないけど、動物実験には反対します」というような内容でした。
記事の最後に書いたエッセイは、正にそういう方に読んで欲しくて載せたのに、まるでスルーされたというか・・・(^^;
完全にやめるのは難しくとも、今後は少し肉食を控えるとかの記述があるなら、私も書いた意味があったと思うのですが、正直言ってなぜここまでのいろんな記事やリンク先を紹介しても、まだ無感情でいられるのかわかりませんでした。
生きるために肉が必要だと言っていいのは、本当に動物の肉も毛皮もないと生きていけないような地域に住む人々、かつ自らも命の危険を冒しながら狩猟し、その肉を自分でさばける人だけだと思います。
せめて、この記事を読んで、今までとは違う何かを感じて欲しかった。
ちゃんと読んでなかったのかも知れませんが、「見なきゃいいじゃん」で、自分以外の誰かが殺してくれればいいと思ってほしくないです。
2005/12/14(水) 12:43:13 | |momofukurou #[ 編集]

全くそのとおりだと思います。
結果でなく、課程を知ることが「本当の賢い消費者」になるためには必要なんではないかなとおもいますし。
本当に必要なものか、再度みきわめてほしいとおもいますね。
2005/12/14(水) 14:27:18 | |御文 #[ 編集]

御文さん
つい熱く長くなってすみません(笑)
そうですね、結果よければ全て良しではなく、課程も見て欲しいです。
そうすると一つ一つの命の重さがわかってくると思います。
2005/12/14(水) 15:00:37 | |momofukurou #[ 編集]

こんにちは。
見なきゃいい、知らなきゃいい。
これ、昔に私も思ったこともあるし、先日も食肉ではありませんが、動物実験についての実態を友人に言った所同じように言われました。
どうしてなんでしょうね、何でも目をつぶって生きていくことは出来ないのに。

実は私は「形のあるお肉」はもともと食べることができないのですが、挽肉なら食べてきました。血の匂いがだめです。
ハンバーグはタマネギのみじん切りとミックスベジタブルが3分の1を占めていたので、とても一般的ではなく見るからに野菜ハンバーグでしたけど、そうしないと食べることが出来ませんでした。
給食でマーボー豆腐が出れば豆腐だけ食べ綺麗に挽肉だけ除け、カツカレーが出ればお肉を残してコロモだけ食べ先生に怒られることも度々でした。
また、友人や職場のコースディナーでは、ステーキを食べたくないというと、いくつになってそんなワガママを言うの?こんな美味しい物を食べられないなんて可哀想と言われ、挙句、お肉は外してもらうことが出来なかったので、以来、職場のディナーには参加していません。それがコミュニケーションを拒否するのかと言われればそうせざるを得ないというしかないのですよね。
私にしてみれば、食事までみんなと同じにされることで、ひとりだけお皿の上のお肉を残して目立つほうが苦痛なのです。
焼肉屋だともっとつらくて、同じテーブルに座った人が私のためにお肉を焼いて小皿に載せます。仕方ないので口に入れ一気に水で流し込んだこともあります。でも、その後延々と野菜ばかり食べ、それがバレてその人ともう食事を共にすることはありませんでした。
結婚する時に、主人の上司に報告に行ったら、テーブルには大量のお肉が用意されていました。「若いんだからお肉よね」奥様はそう言いました。でも殆ど食べられなくて残したら嫌な顔をされました。
元々、お肉を食べない人間ですらこうなので、これからベジを始める方はもっと大変な思いをされるのでしょう。でも、アレルギーとは言わないで生きてきました。食べたくない、その一点張りできたのですが、好き嫌いは良くないことというのを他人に押し付けて欲しくないと思ったからです。その代償は自分では大きかったと思っています。
だけれど、後悔はないんですよね。健康に気を使うのは自分自身の責任。だから肉を食べないからといって、食べないということに批判するのは間違いのはずです。動物を食べない理由が、アレルギーや宗教的なものなどと言わず、ベジタリアンという自分で選択した結果ともっと堂々と言える社会になって欲しいと思います。
2005/12/17(土) 19:16:59 | |ままむんば #[ 編集]

ままむんばさん
本当ですね。人と違ったことをすると叩かれる傾向があります。

私は「見なきゃいい」と目をそむけたことはないのですが、お恥ずかしながら「何が行われているか、知ろうという意識さえ芽生えてなかった」と言った方が近いかも知れません。
そこに命があったことすら忘れていました。お皿の上に乗ってしまえばただの食べ物だと・・・。

ままむんばさんは元々そんなに、お肉を避けられていたのですね!びっくりでした。
数々のシーンでの周囲の反応が、手にとるように想像できます。
「若いんだからお肉よね」←ほんと、いい決めつけですよね(^^;
お辛い思いをされても、アレルギーとは言わずに正直に生きて来られたとのこと、後悔はないとのことで、その姿勢が素敵だなと思いました。

私も、魚介類アレルギーを「ただの好き嫌いの多いワガママ女」と皮肉な目で見られることがあり、「食べ物を粗末にしている」と非難されがちな空気を経験してきました。
そして、やはりお決まりの「こんな美味しい物を食べられないなんて可哀相、人生の半分は損してる」なんて言われました。
本当のアレルギーで拒否しているにもかかわらず、周りの反応はそれでしたから、「自分の意志でベジタリアンを選択している」なんて言おうものなら、どんな批判を受けるかは目に見えています。

批判を受けることが怖いというよりも、相手にならない相手との水かけ議論を避けたいというのが本音かも知れません。
本当の理由(動物愛護)などと言えば、こちらがその考えを押しつけるつもりはなくとも、絶対に感情的に突っかかってくる人はいます。
そうなると、食事もまずくなり、どうしてもその場を台無しにしてしまう・・・
自分の体に取り込む物ぐらいは、自分で選択する権利があるはずなのに、会食の場が、人間関係の気まずさを引き起こすなんて寂しいですが・・・
アメリカなどでは「ベジタリアン」と言っても決して干渉せずに、放っておいてくれるそうです。
本当はベジタリアンの一人一人が主張し、社会に浸透させていくしかないのかも知れませんが、日本ではまず、「食べ物を意図的に選別する人=食べ物を粗末にする馬鹿者」と、歪んだ形で見られてしまうのが、大きなハードルですね。
2005/12/19(月) 09:18:46 | |momofukurou #[ 編集]
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